愚痴でも後悔でもなんでもいい。頭の中で渦巻く得体のしれない怪物を追い出すには、キーを叩き、書き殴り、吐き出すしかないんだ。冷静に考えれば、過去を後悔し、落ち込んでも何も生まれないし、逆に暗くなるだけというのはわかるよ。でもね、もうい若くもないし、辛うじて再起の切符をもらい、そこそこ安定していた生活を投げて、博打を打ったんだ。それで惨敗したんだ。泣き事の1つや2つ言いたくもなるさ。幸か不幸か俺の家系は長寿だ。少なくとも、あと20〜30年は俺は生きるだろう。以前も書いたけど、もし、指をパチンと鳴らし、苦痛なく、煙のように消えることができるのなら、多くの人は、その静かなる自殺を選択することだろう。身内、恐怖、苦痛、後の処理とか考え、思い留まるのが現実だ。大晦日に俺は気が狂った。ようやく賭けの敗北を認め、同時に失ったモノの大きさに気づき、部屋の中をグルグル徘徊した。メシも食えず、このままではマジで自殺しそうだった。恥を忍んで、2日後、5年ぶりくらいに音信不通にしてた両親の元に帰った。100%とはいえないが、95%くらいは正直に話した。このバカ息子の話を両親は聴いてくれた。弟は地道に足に地が着いた生活をしている。俺は、そこそこ安定しかかったとこで、万馬券を狙い、玉砕した。不幸中の幸いだったのは、俺に食わす妻子がいなかったことだ。イヤ、妻子がいなかったから、無謀な勝負に出れたとも言えるか。とにかく俺は、すべて失った。金、人脈、時間、安定、充実感・・・・・。唯一の救いは借金がないことくらいか。正直、「敗北」を認めず、もう少し勝負することも可能ではあった。しかし、精神的に限界だった。インプットしてもアウトプットできない生活。「自由」と引き換えの「孤高」とうそぶいていたが、3年が限界だった。拾って育ててもらった会社にも不義理な辞め方をしてしまった。お世話になった人にも、あえて連絡を避けた。そこまでして、会社は飛び出したからのいは成功したかった。でも甘くなかったね。冷静に考えればわかることだったけど、当時の俺は熱病に侵された患者だった。下準備もせず、適性も考えず、努力すればなんとかなると思っていた。エアコンの温度とか自分の好きなようにできる孤高は最高の環境だと思ってた。でも気づいたよ。人は人と接することでしか成長できないってね。当然、人づきあいにはイヤなこともあるけど、様々な発見、ヒントを見い出せる。それに他者との会話で救われることもある。バクチに後悔はないと言ったらウソになる。こういう惨状になるなら、過去に戻りやり直したいさ。でも、もういいんだ。これまでの俺の人生。失敗が後々、考えるとケガの功名だったことが多々ある。この経験も良かったと思えるのはこれからの俺次第か。哀しいけど、ずっと以前から人並の幸せはアキラメている。女、車、家、結婚、子供・・・・・。
結婚して子供をしっかり育てている同世代を見ると、自分ひとりですら足掻いている己が情けなくなってしまう。他人と比較すると不幸になるのはアタマではわかる。でも、ついつい現状、そしてこれからの日々のことを思うと暗澹たる気持ちになってしまう。もう、淡々と生きていきたい。なるべく、喜怒哀楽なく、普通に生活していきたい。収まるとこに収まるのが人生だと思ってきたけど、俺は当分、落ち着きそうもない。誰のせいでもない。すべて俺のせいだ。今は、もらった睡眠薬があるから、まだ寝れるけど、なくなったらどうしよう。クスリで紛らわす術しかないのか。でも両親を悲しませたくないから、とりあえず自殺はやめよう。