「いっそ気が狂ったほうが幸せ。」

俺が永遠の女性と心酔する「二十歳の原点」の高野悦子の言葉。
まさに、そのとおりだ。
マジで発狂すれば、苦悩から解放される。
周りは迷惑だろうけど。
俺は自殺する勇気もないし、散々、親不幸した両親を悲しませるのも忍びない。
幸か不幸か俺の家系は長寿だし。
人生をリセットするため、13年前に上京し、紆余曲折の末、5年目にして居場所を得たのに、
6年間でリタイア。文字通りのローンバトルで3年目に精神崩壊。
負けを認めた。
結局、齢を食ったぶんだけ上京前より状況は悪化している。
まあ、波瀾万丈で様々な経験は積んだけどね。

これから何を指針にして生きていけばいいのか。
悔恨の念は時がたてば癒されてくるのだろうか。
俺以外の家族、親族は真っ当に一社会人として生活している。
せっかく安定を得ても、すべてを投げ捨て、無謀なバクチを打つバカは俺しかいない。

夢敗れ、やりたい仕事も生きがいもない。
無能でとりえのないオッサンがポツンといるだけだ。
これといった資格もスキルもない、しかも齢食ってる俺は需要なんてない。
力仕事ダメ、手先は超不器用。
数字に追われる営業に戻るのもうんざりだ。

言い訳を探せば山ほどある。
どんなに天気がいい日でも後悔の念が心に突き刺さる。
唯一のサンクチュアリを自ら去った愚か者・・・・・。
そんな自分が大嫌いだ。

俺は高野悦子みたいに政治、世相、平和、思想について、
突き詰めて考えることはない。
高野の場合、他者の痛みを、わがことのように感じてしまい、
いろいろ足掻いてみたが、自分の無力を痛感し逝ってしまったのかもしれない。

そこまで俺は清廉潔白ではない。
自分自身が一番、自分をもてあましている。

どんなジャンルの職業でも個人の程度の差はあれ、
積み重ねた時間が血肉になる。

俺は惜しげもなく捨ててしまった。
亡くなった兄の代わりに、
長男を演じた俺だが、所詮ムリがあった。

ついツライことばかり思い出すけど、
嬉しいこと、楽しいこともあった、この人生。

廃人になってもいい、狂人になってもいい。
とにかく、自殺せず、
ただ、「生きる」だけでいいとしよう。