世界は広い。海外でも臆せず、デンと振る舞える人が羨ましい。日本でも政治家より海外を転戦するアスリートのほうが外交に詳しいと思う。でも一方、田舎で日々コツコツ働いてる人も素晴らしい。人には向き不向きがある。学校を卒業し1つの仕事をずっと続けてる人。転職し、ついの仕事に辿り着く人。ただ、努力では埋められないこともある。それが向き不向き。やっぱ、厳然たる「才能」とう壁がある。仕事の能力だけでなく、人づきあい、努力する強い心、生まれながらの美醜も「才能」だ。どうやら俺は分相応のとこで安定してるのをブチ壊し、器以上のモノを求め自爆してきた。まあ、それなりにイイ経験もしたけど。「あきらめる」とは、「明らかにする」ということらしい。俺も自分のキャパがよくわかった。金、名誉など人と比較してはいけない。でも人という生き物は、つい他者と比較して優越感を持ったり、落ち込んだりする。イイ齢こいてバクチを打ち、すべて失った俺は同世代の中では最下層と言っても過言でない。会社ヤメ独立する時も、「そんな甘いもんじゃないよ。」と言われた。俺もそう思ったけど、努力すればカバーできると思った。結果は社会的立場も金もきれいに失い、精神も自殺一歩手前まで病んでしまった。大晦日からの4日間の苦しみは2度と味わいたくない。やはり俺の性格だと、新しいことを始めるときは、なんらかの「逃げ道」、「保険」が必要だったんだ。俺は背水の陣しかないと思い、それが破綻したとき発狂したんだ。以前にも書いたが、もし指をパチンと鳴らし、苦痛なく煙のように一瞬で消えることができれば、迷わず俺はそうすることだろう。スピリチュアルカウンセラーの江原さんが、よく、「前世では殺害されたんですよ」とか「前世では自殺してます」などとコメントすることがある。それを聞くと、俺に限らず、現世の負けを認め、自殺し、リセットして来世に賭けようという人がでてきてもおかしくない。俺は手先は不器用だし、体力的にも力仕事はムリだ。理解力も人より遅い。それを努力でカバーし、ようやく人並だった。そこで満足してればよかったんだ。数々の挫折を取り返そうと万馬券を買い3年でジ・エンド。大晦日前後に比べれば、少し精神も落ち着いてきたけど、やはり後悔の念でうちひしがれることも多々ある。誰のせいでもない。すべて俺自身のせい。理解するには遅すぎた。これから人生を、またリセットすることができるのか。金さえあれば一生、精神病院での幽閉生活でもいい。でもそれはムリだ。様々な欲望を削ぎ落とし、淡々と生きていくしか術はない。でも毎回、四苦八苦して、ようやく安定すると冒険したくなる病気は一生治らないかも。もう健康であればそれでいい。帰郷し俺は蔑みの目に晒されるかもしれない。いや、自分の自意識が勝手に被害妄想として襲いかかるだろう。もう自分がダメ人間ということを自覚して、多く、高く望まずやるしかない。今も後悔の念で苦しいと描いたけど、大晦日前後の苦しみに比べれば、遥かにマシだ。俺の住んでるとこは都内でも飛び降り自殺で有名な地域なのだ。両親を悲しませたくなかったんで踏みとどまった。もし、両親が既に他界してたら俺は自殺してたのは必至だ。生まれてきたからには、なんらかの使命、意味があるはずだ。金、名誉、車、イイ女、家などとはもう一生無縁だろう。でもいいんだ。あきらめたら楽になる。それは難しいけどね。どうも人生設計が予定通りいったことが1度もない。すべて良くも悪くもハプニングが生じる。だから人生は面白いというのも陳腐すぎるけどさ。とにかく生き延びていくしかない。誰もみない、このブログに脈絡なく感情のままキーを叩くことで俺は救われるだろう。