五木寛之の対談集、「生きる言葉」を読んでる。若き日はプレイボーイで、今でもダンディーな五木の仏教感が面白い。
俺の場合は変にアタマが固い。世の中、キレイごとだけではない。俺は信心をもったとしても、そういう場面に出くわすと苦悩してしまう。柔軟に考えられない。お釈迦様も一休も世俗にまみれてたことを知る人は少ない。聖人君子なんていないんだ。俺の場合、仕事と女が両立したことがない。人間的キャパが小さいのでどっちかしか集中できない。どちらも上手くいかないここ3年は悲惨だった。浮いた話はココ数年、哀しいことに皆無だ。それを打破しようと思ったのも、3年前の無謀な独立の1つの要因だ。すべて雲散霧消と化してしまったが。自分自身は結婚はおろか、もう恋愛とかしないだろうなと思ってる。もし好きになった女ができても、その感情を隠すと思う。よく様々な恋愛を経て、結婚したことをあっけらかんに語る女性のインタビューとか読むと、ここ数年、付き合うどころか、恋愛感情すら抱いてない俺は暗くなってしまう。以前も書いたけど、現在の自分は刑務所を出所し、やり直す立場と思えば少しは気が楽になるかもしれない。毎回、学習できず、同じ愚を繰り返す俺。親孝行どころか、この齢で多大な迷惑を親にかけている。やっと苦労して居場所を確保できたと思ったら、投げ捨て、勝算のない冒険をし討ち死にした俺。「あのとき、ああしなければ・・・・」とか、「あのとき、こうしてれば・・・・・」という悔恨が俺を襲う。それも自分が真人間だとおもうから苦しむのだろう。自分は最下層のダメ人間と考えればいいかも。プライド、世間体をすべて捨ててね。俺は自分にコンプレックスがあるから、なにかハンデや複雑な家庭事情の女に魅かれるのだろう。今回の3年にわたる無謀な闘いで、俺は自分の器の小ささがよくわかった。輝かしい未来を夢みることもなく、かといって絶望することもなく。テレサ・テンじゃないけど、時の流れに身をまかせるしかないな。13年前に上京したとき、1か月くらいですぐステディーができたし。1年付き合った彼女が恥ずかしながら、TOKIO LIFEの唯一の彼女なんだけね。99年から6年勤めた会社では多くのことを学んだ。営業なんでキツイことも多々あったが、いい社会勉強になった。ようやく流浪人生に終止符と思った矢先、ウソついて会社をヤメ独立。お世話になった先輩にも不義理をしてしまった。学歴もコネも関係ない営業の世界。ある意味、数字がすべてなんんで潔い世界だった。でも俺は6年目で心身とも消耗してた。俺と同い年でも二十歳前後から会社にいる人は管理職で高給をもらってる。10年以上遅れてスタートの俺は段々疲れてきた。そこで内勤への異動を上司に言えば良かったんだ。そうすれば給料は減るが時間に余裕ができ、趣味の世界で新たな出会いをつくることができたかもしれない。今、思えばね。当時の俺は6年でそこそこ貯えができたので、勝負を賭けることにした。振り返れば、勝算も戦術もなく、勢いで会社をヤメた。そして3年で破綻。自殺一歩手前まで追い詰められた。自殺するより、真っ当でなくてもいいから、生き延びることが大切と五木は語ってる。希望、夢、覇気など今の俺にはない。だから五木の言葉で少し楽になった。「ただ生きる」。それだけでいいんだ。