精神状況は一進一退。前日、元気になっても翌日ヘコむことも珍しくない。今日も「もし会社ヤメなかったら・・・」
という無意味なシュミレーションと後悔が俺を襲う。それを忘れるために今日は歯医者をパスして本を濫読。中島義道
「働くことがイヤな人のための本」、川村カオリの「ヘルタースケルター」を読む。中島のは2001年、川村は2005年に買った本だ。中島のは綺麗事でない言葉で人間、人生というものを講釈してくれる。本も「生きるとは何か」と考える様々な年代の架空の生徒と先生という形式で読みやすかった。「どうせ人は死ぬのに、なぜ生きるか?」という問いは深い。答えのないことを考えぬくのが哲学と中島は言う。また、社会的に、うだつが上がらないように見えても、逆に哲学を学ぶのに最も適した環境とも彼は言う。すごく納得できる。別に会社をヤメなくても、ルーティンワークに従事してても、生活のためと割りきり、哲学に没頭し退屈、虚無と共生し楽しむことができる。その本を買った2001年、俺は営業3年目だった。仕事は土曜も休みじゃなく、消耗し、イラついて買ったのだろう。中島は東大卒だが、大学院を含め12年大学生活をおくったんで、東大=エリートという図式からはこぼれる。逆に「東大」という看板が重荷になったことは想像に難くない。俺自身、会社をヤメ3年間孤軍奮闘し玉砕し、負けを認めた。でも、やらずに後悔より、やって後悔のほうがいいかもしれない。俺が「もし、内勤への異動を希望してれば・・・・」とよく後悔してるが、もし内勤でずっと働いてたら、「一勝負しとけば・・・・」と後年、後悔したかもしれない。何が正しく、何が間違ってるかわからない。鳥居みゆきの言うように、あらゆる物事は「プラマイゼロ」なんだろう。金、健康、名誉、充実感・・・・・。会社やプロスポーツ選手、漫画家、ミュージシャン・・・・様々なジャンルの人が夢敗れ去っていく。でも成功者の人生のみハッピーとは限らない。世間の賞賛、いや会社という小さい世界でも能力ある人はごく一部。その他、大半は普通の人だ。でも普通の人でも人生を楽しめる。俺は、ようやく「普通」になりかかったのに、拒否し大バクチを打ち、最下層へと沈んだ。6年間の積み上げた時間、キャリアを投げ捨てた勝負に負けた。でも、その6年間や独立後の3年も血肉となり経験値を上げてくれたことはわかってる。頭じゃ、わかってるんだけどね。ウジウジ、会社ヤメんじゃなかったという俺は最低だ。自分の器、才能、能力の欠如を新たに確認した。でも、負けを認めたことは間違ってない。まだ、スガリつき、もっと傷を悪化するまえに腫瘍を切ったと考えよう。どっちみち、2度と大それた夢を持たないことにしよう。あまりにも遅すぎる再々出発。人と比較しないのが大切だが、今の俺は劣等感と卑屈さでコーティングされている。これまでの人生、楽しいことより、ツライことのほうが多い気がする。でも、受け入るしかない。「覆水、盆に返らず」は正しい。やってしまった過去の愚行は考えても変わらないし、ストレスになるだけだ。わかってるんだけどね・・・・・・。