ここ10日ばかりコンビニ行く以外は引きこもってたが、今日は久々に外出。図書館で「格闘技通信」を読む。今回は三崎、秋山関連、4点ポジション、山田トレーナーインタビューなど読みどころ満載だった。相変わらず、過去への後悔、積み上げてきたものを壊し、イイ齢こいてゼロからスタートする未来への暗澹たる気持ちに悩まされる。でも、少しずつだが、好転してきてると考えたい。今日、外出できただけもいいじゃん。なんのとりえも資格も技術もない、俺が自分の力を過信し、甘い見通しで独立し惨敗した3年間。ようやく、リセットできたのを捨てて、またどん底へ。そりゃあ、死にたくもなるよ。自分のバカさかげんにね。この齢でまた0、イヤ、マイナスからスタートするのは自業自得といいつつ、落ち込む。仕事、人間関係など、また1から構築していかなければならない。もう、世間体や他人との比較とは無縁の仏門に入りたい。当然、宗教の中の争いはリーマンより熾烈だが、最初から俺は放棄してるんでOKだ。今は資格取ろうとか、なんか頑張ろうとかというモチベは全くない。死んだように生きていても自殺するよりマシというスタンスでいる。TVの一家心中、自殺、犯罪で捕まった人を観ると、「まだ俺はマシだ。」と慰める。今の俺は、一般の普通の人から見れば、ダメ人間、最下層の住人、ああはなりたくないという人の典型かもしれない。でも玉砕した3年を振り返ると、けっしてツライときばかりではなかった。希望に溢れてたとき、結果を出し、喜んだときもあった。孤独の代償で、イヤな人間関係は皆無だったし、自由な時間はあった。悪いことばかりじゃなかった。東京に住むのもあと2か月を切った。
13年前、当時も現状に絶望し、上京した俺がいた。でも当時は、まだ若く我も強く、プライドも少しはあった。今は自殺を踏みとどまったものの、悔恨と砂を噛むような未来に慄く日々。こうやって心の澱を吐き出すのもリハビリの一環。先のことを考えると死にたくなるんで、自分のためだけに、ネガティブな文をキーボードに叩きつけてる。小学生のときからそうだ。いつも「次のクラスでは猫をかぶろう」と思っても、結局、すぐ自分本来のキャラをだし、教師に叱られていた。何歳になっても、うまくいきかけたら、同じ愚を繰り返すんじゃないかと思ってしまう。でも、今回、俺は辛うじて生きることを選んだ。世の中には自分より遥かに大変な人がいることもわかる。そういう人から見れば、俺は甘いと言われるだろう。でもいいんだ。少しずつ生きていくよ。