今日から2月。明るい曲は聴きたくない。手嶌葵の「春の歌集」をリピートして聴いてる。バレンタインのチョコが1月末からコンビニで売られてる。バレンタインと無縁になって何年だろう。考えたくもない。鶴見済清野栄一の共著、「レイブ力」を読み返す。レイブ、トランス、ダンスを通して、社会学を語っている。理屈っぽいけど、面白い。「完全自殺マニュアル」の著者でもある鶴見はかなり偏執狂だ。でも、それであるがゆえ、鶴見の視点はユニークだ。すべて賛同するわけじゃないが。鶴見の「檻のなかのダンス」も名著。さっき、俺は会社をヤメ、独立してから、つけてた日記を全部破って捨てた。学生時代からそうだが、日記をつけ、ある程度年数が経っていても、なんかのキッカケですべて廃棄してきた。簡単に言えば過去との訣別。心身とも夢敗れ、うちひしがれた俺は、これから哲学、宗教関係の本を濫読しようと思う。美しすぎるほど、無残に叩きのめされた俺は、より内省的な方面に救いを求めたいんだ。積み上げてきた、時間、経験、立場をすべて放棄し、孤高の闘いを挑んだ俺。思惑通りにいかず、結局、13年前、上京当時の何もない状況に引き戻された。すべて俺自身のせいだけどね。でも、唯一の救いは様々な失敗から学び、経験値が上がったことかな。自分の無能さもよくわかった。無知の知だよ。この3年、あまりに独りになりすぎた。インプットしてもアウトプットできなかった。大晦日に発狂したのは不幸中の幸いだったかもしれない。それで俺は負けを認め、東京を去ることを決意した。いままでの人生を振り返っても、「ああすれば良かった。」、「あれしなければ良かった。」のオンパレード。いろんな要因はあるけど、やっぱ自分自身のせいだ。誰のせいでもない。作家の佐藤愛子は「幸せは退屈、不幸は面白い。」と言ったらしい。確かに悩み、絶望し、死にたくなる状態は退屈ではない。でも面白いとは思わないなあ。まあ、不幸があるから、幸福を実感できるという理屈はわかるけど。俺のこれまでの失敗は、勝算も戦略もないのに、一時的な感情でバクチを打つことに起因する。それと己の能力を過大評価してたこと。もちろん、自分が不器用で要領が悪いことはわかってた。でも、自分の想像以上に自分は才能がなかった。大金持ちになって優越感を持ちたいと思ったことはない。自由な時間、日々の生活に困らない小金、人間関係で悩まない状況を熱望していた。でも、想像以上に独りはツラかった。独立後は仕事も一進一体で結局、頓挫した。幸か不幸か妻子がいなかったんで、俺は勝負したかったんだ。以前にも書いたけど、やらずに後悔よりやって後悔のほうがマシと思うしかないだろう。そう自分を慰めるしかない。借金をつくる前に撤退しただけでも良しとするべきだ。俺の人生はケガの功名が多い。一見、アンラッキーなことも、結果オーライのことが何度もあった。当然、東京を去った後の俺の前途はイバラの道であるのは必至。でも、もう高望みすることはない。「生き様」より「死に様」を考え抜いていきたい。過度な期待を課した、親への復讐ってわけじゃないけど、結果的に親に多大な迷惑、裏切りをしてる俺。俺は人並にすらなれず、普通の市井のささやかな幸せすら享受できる人種じゃないんだ。運命は仕方ない、かといって絶望するわけでもなく、ただ生きるだけでいい。自殺さえしなければいい。自分の運命を受け入れよう。