総武線に乗り、両国、錦糸町の風景を観ると、9年前のことを思い出す。当時の、もがき、錯綜してるときの心象風景は鮮明に記憶している。俺の人生の小さい変化は3年周期、大きいターニングポイントは6年周期であることが多い。厄年とか大殺界とか無頓着で何もしなかった。昨日まで元気でも、事故や事件に巻き込まれて死ぬ人もいる。ブクロのパルコから女性がダイブしたとき、巻き添えを食ったリーマンは亡くなった。罪のない人が通り魔に襲われる事件も、後を絶たない。そういう事件を目にすると、世の中は平等なんかじゃなく、ましてや神などいないと思ってしまう。今の俺は明るい曲は聴きたくない気分。相変わらず、手嶌葵の「春の歌集」をリピってる。好きなスライダーズや電グルを聴く心境ではない。東京生活もあとわずかなのに。怠惰な日々を過ごしている。ホント自己嫌悪。今の俺には、「向上心」、「モチベーション」、「前向き」などの言葉はタブーだ。吐き気がする。ますます内省的な方向に進んでいる。方向が見えない咆哮。ダジャレを言ってる場合ではない。遊びで脳内メーカーをやった。本名を打ち込む。結果は・・・・・
「悩」一色!「悩」だけだよ。他の漢字はナシ!あまりの悲惨さに笑ったよ。いままでも俺は自分が悲惨な状況になると、凹みながらもシニカルに笑っていた。自虐的笑いができるから、迷走し、傷つき、堕ちても生き延びていられるのだろう。明日に過大な期待を抱くと今日を生きられない。余計なことは考えたくない。それにしてもrumbling diceのような人生。嘆くより楽しむしかないな。もう人並の幸せは社会的、物質的にムリだと悟ったしね。淡々とした生活の中で、日々の、ささやかな幸せを見い出せるよう考えよう。この齢になると、どの世界でも完全に自由になれないのはわかる。4月から、またふりだしかあ。過去の失敗が経験値を上げてくれてると信じよう。俺は悩むことで精神のバランスをとっているのかもしれない。じゃないと、発作的に自傷行為にはしりそうだ。会社にいた3年前、自宅にPCがあればなあと思う。車じゃなく、そこはPCを買うべきだった。趣味の情報収集やネットワーク構築(mixiとかではなく、実際に会うための)のツールとしてね。当時は、日々忙殺され、たまの休みはダレて1日を過ごしていた。まあいい。次回は、ちゃんとやろう。それにしても、俺は成長する段階が、一般の人より10年くらい遅い。不器用で要領悪いし、これといってとりえないし。大きいコンプレックスと矮小なプライドが同居していた。今は、このブログに胸のつかえを吐き出すことで心のバランスを辛うじて保っている。もう何も未来に期待してない。淡々と生きたいだけ。