今日、ふと考えた。俺は3年前に会社ヤメたことを後悔してるけど、もし残ってたとしても、今の俺が描いてるようになってなかったのではないか?なぜなら、今まで、この人生、予想してたとおりになったことは1度もない!だから、俺が仮に、その時点に戻ったとしても、現状を嘆いてる俺の頭のシュミレーション通りには、いくわけがないと気づいた。
テニスにしてもPCにしても、それを始めたきっかけは、予定調和が崩れ時間ができたことに起因する。そうか、俺のような不器用で要領の悪い人間は、そういうアクシデントが必要なのかもしれない。それにしても通常の人が普通に通る道を、俺は、どれだけ迂回してるんだ!齢を取れば、自らの能力、器、役割などわかってくるが、俺は他人より理解するのが遅すぎたね。ホント、亀の歩みそのものだ。ここ数日、中島義道の著作にハマッている。人生を「楽しく、素晴らしいもの」と規定するからツラくなる、人生は「生きるに値しないもの」と中島は主張する。中島は偏屈なオッサンだが、ウソやキレイごとなく本心を書き綴ってるんで面白い。中島の影響で自殺した生徒も何人かいたとも書いてる。孤独を好み、人づきあいが嫌いな中島だが、世間に認められたいという願望もあるので本を書くと述べてた。どんなに孤高を貫いても、やっぱり、誰かに自分のことをわかってほしい、認めてほしいというのはある。結構、西洋哲学で難解な語句も多々あるけど、そこは適当に流し読みした。意外に中島と鶴見済の共通点は多い気がする。自殺を止めない鶴見、一応、話をきく中島という違いはあるけど。でも、中島の言う、「人生は素晴らしいものではなく、生きづらい」という見解は、俺の心を軽くしてくれた。やはり、「こうでなければならない」というマストに縛られた人が不幸なのだろう。ある程度の諦観、ニヒリズムを根幹にもっていれば、多少の苦難も「こんなもんだ」とあきらめがつくのだろう。アホな俺はタイムマシーンで過去の戻って、別の選択肢をチョイスしても、必ず、思い通りに事は運んでないはずだ。すごい紆余曲折で、他者からはダメ人間の烙印を押されてもおかしくない俺。でも、挫折、絶望のたびに、ケガの功名で生きやすくなるアイテムを少しずつ手にしてる。どうせ、あと数十年で死ぬのだ。親より早く死ぬのはやめよう。味気ない日々が続くと思っていよう。そうすれば、絶望することはないだろう。絶望は希望を持ってた人がするはずだから。砂を噛むような人生を受け入れるのだ。