闇から手が伸びてきた、俺は無表情で握手をする。TVでは親が肉親を斧で殺し、自殺したニュースが流れてる。人殺しなのに、一家心中しようとし、自殺したら、「○○さん」と報道される。肉親を殺した人が生きていれば呼び捨てだ。どうも納得がいかない。散々、いままで書いたように俺には余生に夢も希望も、もってない。手をパンッと叩いて、一瞬で苦痛なく現世から煙のようにオサラバできるなら、100%そうする自信がある。闘病で長生きするのもイヤだ。少なくとも親が生きてる間は俺も生きるよ。現実的な自殺方法では俺のチキンハートはビビッてしまう。そういうヤツに限って長生きするんだよな。俺の家は長寿の家系だし。健康であれば、長生きも悪くないかも。死後の人間は熟睡してる状態が永遠に続くようなものという説がある。天国や地獄が存在するなら、そこでも現世同様、格差社会だね。偉大な足跡を残した著名人も自殺した人は地獄行きなのだろうか。俺自身は神がいるかどうかわからない。体調が悪くなったときくらいしか考えない。TV、新聞で報じられる殺伐とした事件も病んでる俺には、「まだ、俺はマシだな。」というトランキライザーと化す。自分の才能や能力に対する過信、戦略なき無謀な挑戦により、俺は自爆してきた。親元から離れたときから、俺は親に連絡をとらなくなった。今思えば、自分のことを棚に上げ、親と縁を断ち切ってやろうと考えた。まあ、そこに到るまで様々な過程はあったけど。電話番号、住所も知らせず、文字通り音信不通になった。弟にだけは居場所を知らせていた。親との関係修復に弟は尽力したが、俺は耳を貸さなかった。親を憎んでいた。何度も殺してやりたいと、一緒に住んでたとき思っていた。弟から住所を聞いたのだろう。手紙が数回きたが、返信しなかった。俺だって、できることなら良好な家族関係を築きたかった。でも、ことごとく親と俺はぶつかって過ごした。子は親を選べない。逆もしかり。時がたち、俺も齢をとり、親の気持ちもわかるようになった。でも、心の底で許せない気持ちもかすかに残ってる事実は否めない。俺は過去を葬るため、安定を捨て一発逆転を狙い、玉砕。許せない過去に返り討ちされた。冷静に考えれば、悪いのは自分だ。でも、あえて他罰的思考により、少しでも自責の念を軽くし、自殺のストッパーとしている。大晦日はマジで自殺してもおかしくなかった。現に住んでるとこは自殺の名所だし。親に1つも親孝行できなかった俺だが、せめて親より長く生きることにした。死ぬ勇気もないし。俺は運命に導かれ転がり続けるだけ。健康に過ごせればいい。苦痛さえ感じなければ、味気ない余生でもかまわない。いいことが起きたら、浮かれず、ラッキーと思えばいい。自戒しながら、人生の無意味を熟考し、机上の空論でもいいから、感情武装のため哲学と戯れよう。他人から見て、閉塞的、内省的でもいい。でも、どうせそのようにならないだろう。1度も予想通りになったことのない人生だから。またなにかに翻弄され、一喜一憂するのかな。淡々と生きたい俺だが、喜怒哀楽の激しい俺にはムリな相談かもな。