廃人のような生活のなかでしか、生きていくアイテムを手に入れることができない。普通の人のように器用に、日常のなかで身につけることは俺にはできない。偶然は必然。後悔するミステイク、決断、行動もケガの功名になり得る。歯医者の診察台で「神はいない」と呟いてしまう。晴天続きで、風もあたたかい。春が近づいている。日も長くなった。また1から、イヤ、マイナスから構築していかなければならない。数字に追われていた日々は忌まわしき過去を葬ってくれた。つまり、新たな苦労を抱えたとき、昔の傷を忘れるとういうか、見なくなるのだろう。1995年、3月上京。両国国技館の美女、東京ドーム「夢の懸け橋」、船堀駅のバス停の横顔美人、禁断の1年、空白の1年、J-WAVEロバート・ハリス、「とぶクスリ」の末期、VIPインドアテニススクール、江東区木場、江戸川区西葛西、練馬区練馬、板橋区西高島平、慶子、ミサキ、マリ、さくら、三代目魚武濱田成夫、テニスサークル「かもめ」、中島義道、3度の海外、怒涛の営業6年、挑戦と挫折の3年、ホンダヴィガー、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」、鳥居みゆき・・・・・・。そして俺は13年間の東京生活に3月末、別れを告げる。運命を受け入れよう。人並の幸せを望むことは、もうない。東京で出会えた人に感謝したい。