遠回りしかできないなら、それでいい。アイテムを一気に、かっさらえるヤツもいるけど、俺は失敗を重ねながら学習するタイプだ。力仕事もできないし、手先も不器用だし、なんの、とりえもない俺。この3年で努力してもできないことがあるということに気づいた。幸か不幸か妻子がいない俺。それで無謀にも勝算も戦略もない闘いに挑んで敗れた。でもいいんだ。やらずに後悔より、やって後悔のほうがマシだ。営業での6年のおかげで、徒手空拳の3年を闘うことができた。結果は惨敗で多くのものを失ったけど、いい勉強だったよ。何度も書いたように、俺に来世はいらない。死んだら永遠の無でいい。13年間の東京生活で俺は多くの血を流してきた。風穴を開けるためムチャもいろいろした。快楽も得たし、瀕死の重傷も負った。過去の傷を忘れるには、新たな傷を抱えることというのを学んだ。遅まきながら、人と接することで自分を高められることを知った。孤高のファイトも大切だが、必要条件であって、十分条件ではなかった。齢を重ねるにつれ、幸せのハードルが低くなる。それはいいことだと思う。無常観、自分の才能、器、能力をオッサンになるとイヤでも掌握できるからだろう。忌まわしく、唾棄すべき過去を葬るために挑んだ、この3年だったが、清々しいほど返り討ちを喰らってしまった。それもまた俺らしいかも。大昔、スロットで生計を立てようと、中古のトロピカーナ7Xを名古屋から取り寄せた俺。専門誌も買い研究したなあ。いつの時代でもアウトサイダーの生き様に憧れていた。ただ、俺は社交的でなく、どの時代も一匹狼だったので、壁にブチ当たることが多かった。神経質な俺は(例えば、エアコンの温度、トイレが近いこと、人に気をつかいすぎる・・・etc)他者と同じ空間で何かするということが苦手だった。それで必然的に独りでできることを渇望していたんだ。営業も客先では俺1人だったんで好きだった。ただ、同僚との人間関係や、その他もろもろ、6年で閉塞状態に陥った。ホントは5年でヤメようと思ってたんで、1年延期してもモチベが低下したままだったんでヤメたんだ。ただ、俺は独りで立ち回れるほど器用でも才気旱魃でもなかった。努力しても報われないことがあることを知っただけでも良かった。まさに無知の知だね。脳もハートもグサグサ刺されまくって瀕死状態だ。無くなった兄の代わりに俺は長男を務めることはできなかった。弟は真っ当な社会人だ。おやじは大学卒業後、1つの企業を定年まで勤めあげた。おふくろは専業主婦として家庭を守ってきた。唯一、俺だけ常に流浪な人生を歩み、親に迷惑をかけている。これはもうしかたない。心身ともに苦痛を感じ長生きするより、ハイロウズの言うように即死で頼むぜ。でも、俺は生きていくよ。あらゆるものを削ぎ落として、幸せのハードルを下げ、生きていくよ。残り1か月の東京生活。幽閉される刑期に耐えれるよう、心を研磨していきたい。