ゲル化した空間がジワジワ俺を締め付けてくる。自分でも病んでると思う。だが、狂いかたが、全然足りない。若干の理性が残っている。江頭じゃないけど、のたれ死にに憧れてた時期があった。でも空腹、苦痛、寒気、暑さで苦しみながら逝くのはイヤなので却下した。デスノートがあれば、自分の名を記し、Lが書いたように、「安らかに眠るように死す」と書くことだろう。来世に生まれかわりたくない。死ねば永遠の無でいい。でも生きてる間は病気等で苦しみたくない。睡眠薬は1ヶ月前に既になくなっている。金持ち、貧乏人、不慮の事故にあった人、犯罪に巻き込まれ逝った人、その遺族・・・・・・。すべての人はプラマイゼロ。違うところは大きいプラスのカードを持ってる人は、大きいマイナスのカードを持っている。小さいプラスの人はマイナスも小さい。ラッキーなときに、少しずつマイナスのカードを切ればいいとよく言う。また面倒なのはプラスの状態が続くとそれがプラスと実感できないことだ。健康とか病気になって、やっとありがたみを感じる。また、一見マイナスなことも、それが常態ならマイナスと感じないだろう。中田やイチローにはなれないけど、彼らの重圧、社会の目を思うと負の部分も少なくない気がする。卓越した才能がない俺みたいな人間は高望みしなければいい。いままでは分不相応な希望、野心を持ってたのでそれが折れたとき満身創痍の俺を支えるものはなかった。ホント、学習能力のなさに呆れるよ。イタイ目にあわないと身につかない俺。巨大な螺旋階段を、しばしば落下しながら這うように上ってきた。落下するときは、大抵、自分自身のせい。自業自得ってやつだ。上京して初めて観た映画は「ナチュラル・ボーン・キラーズ」。渋谷の映画館で観た。白いカバーの指定席があり、地方出身者の俺は知らずに座り、係りの人に注意されたっけ。あと1か月ちょっとの東京ライフ。ラストムービーはLのスピンオフにしよう。